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メール・マガジン
「FNサービス 問題解決おたすけマン」
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★第167号 ’03−01−31★
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高EQリーダー
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●昨年末近くの休日、
TVの討論番組を流し聞きしていたら、<シャックルトン>という名が
出て来ました。 超困難な場面を卓越したリーダーシップで克服した人、
話題になっている、と言うが恥ずかしながら、私は存じませんでした。
今の混沌低迷を打開するには、丸投げ専門、まるで他人事みたいに語る
小泉総理のリーダーシップ、まずかろう、、てなところから引き合いに
出されたようでしたが、目を向けたとき、画面には
<シャックルトン流>の要点が数項目。 いわく<忠誠心>、<規律>、
<思いやり>、<勇気>、<楽観主義>、、 どれも大切には違いない
が、何だかアタリマエすぎるよなあ、、
それに、(たとえば)<創意>、<工夫>、<勉励>、、がエヂソンや
フォードの特質だ、と聞けば誰でも発奮するんですかね? 凡人が次々
天才に変身しますかね? 時代相や環境、何もかも全く違うというのに。
<シャクルトン流>も同様、<要点>いくつか真似たくらいじゃねえ、、、
で<流し聞き>が<聞き流し>になり、メモも取らずじまい。 しかし
忘れる間も無く数日後、
*
近くの
<BOOK・OFF>、それも嬉しや隠居御用達の100円コーナーで、<シャクルトン>に遭遇。 そこには(当然)あまり新しい本は無いの
だが、これは珍しくも2001年8月発行/PHP。 いただき!
原題は
<Shackleton's Way> 、「史上最強のリーダー シャクルトン」。マーゴ・モレルとステファニー・キャパレルの共著。 アチラでは長く
ベストセラーだった由。 序章冒頭、
その男、、率いた部下はもっとも多いときで27人に過ぎず、掲げた
目標はほぼすべて達成できず、、最近になるまでほとんど忘れ去られ
ていた。
じゃ、私が知らなかったのもムリない。 けれどもその男が、なぜ今頃
話題になる? その理由は、、 と同じく序章にいわく、
、、結果を出すリーダーの理想像が求められている、、、われわれが
犠牲や絶望にうんざりし、新たな時代に導いてくれる、前向きなリー
ダーを求めていることにある。
リーダー不在感はアチラも? 隣の芝生、コチラよりマシと思っていた
のに。 さらに元大統領科学顧問N.F.レインが大学卒業式の祝辞で
シャクルトンを挙げ、
、、、障害に出くわしても、チームワークや共同体意識さえあれば、
乗り越えることができる、、、 不測の事態に備え、共同体意識を
持とうとする組織は、21世紀のリーダーになりうる、、、
おや、まるで<日本的経営>みたい。 ということは、あれをバラバラ
にしてしまったのは、やはり間違いだったのかも、、
**********
●シャクルトンは
1874年アイルランド生まれ。 4度目の南極行の途上1922年、心臓発作
で没した英国人。 生育環境に恵まれながら拘束的学業を嫌い、16歳
で船乗りになったが、
下積みの辛酸を一通りなめた後、独学で次々昇進試験に挑み、24歳で
船長資格。 航海士として働いた船ではボーア戦争の兵士輸送に携わり、
その体験を本に著わして儲け、知名度を高め、、、
1901年、スコット南極探検隊に加わって多くを学び、1907年には自ら長
となってニムロッド号で再び南極に挑む。 極点には達し得なかったが、
スコットの記録を破り、エレバス火山初登頂にも成功。
極点先着は1911年のアムンゼン、僅か1ヶ月遅れたスコットは帰途落命。
かくて南極レースは終わったのだが、探検が好き、南極が好き、有名に
なることはもっと好き、のシャクルトン(以後<彼>)、
それなら、と南極初<横断>を目指して1914年、エンデュアランス号で
出発。 <彼>が伝説化するのはここで揮ったリーダーシップによって
ですが、その艱難辛苦の詳細については、
<シャクルトン エンデュアランス号>で検索すれば、ほかに翻訳本が
いくつもあります。 ただし、現代のリーダーシップに結び付けて解説
している点で、PHPのが良いでしょう。
映画(邦題「シャクルトン奇跡の生還」2001年/米)も制作され、昨年
度文部科学省選定教育映画の一つになっています。 ビデオもあります。
◎参考: http://www.millions.co.jp/movie/syakuruton/
*
結果:<横断>には失敗。 上陸地点目前の1915年1月18日、船は氷で
動けなくなり、よく耐えたが10月27日沈没。 氷盤に乗ってテント生活
を続けたが、その氷盤も危うくなり、3隻のボートで酷寒の荒海を渡る
こと100km。 無人エレファント島に着いたのが1916年4月15日。
だが、
そこも安住不能、救援を求めるべく<彼>以下6名が4月24日、1300km
彼方のサウス・ジョージア島を目指して漕ぎ出す。 悪戦苦闘16日間、
ついに
5月10日上陸。 3名とボートを残し、<彼>外2名で島横断の山越えに挑み、
5月20日捕鯨基地に到達、救助された。 が、そのあと、
船の調達に難儀し、エレファント島に戻れたのは
8月30日。 全員生存、救出。 ただちに<彼>はロス海側に上陸した支隊の救出に向かい、翌
1917年
1月完了。 <彼>の故国帰還は5月、出発から3年後、でした。
**********
●零下何十度の烈風
に曝されて孤立無援、頼みの船が圧壊するのを見たら、絶望しない方が
オカシイ、と思うが、<彼>は平然、「船と物資はなくなった。 さあ、
我が家へ帰ろう」。 どんな状況も冷静に受け入れ、直ちに目標を切り
替えて時間を無駄にしなかった。
(隊員募集の)面接では無駄な質問はしなかった。 、、目的もなく
隊員を訓練して労力を無駄にしなかった。 時間があれば本を読み、
構想を練った。 段階を踏むとすれば、それは目標に到達するためだ。
指示を出すとすれば、それは生き残りに必要だったからだ。(p.205)
と常に
Rational。 移動のため荷物を最小限に絞る必要が生じた時も<彼>は、 (p.192)
率先して、、投げ捨てた。 金時計や、、金貨、銀のブラシや、、
大部分の本、、皇太后から贈られた聖書。、、全員があとに続いた。
*
ところが部下のバンジョー(!)携帯希望はためらわず許し、
「強力な精神安定剤だ。 われわれに必要になるはずだ」
この部下ハッセー(気象学者)を<彼>が採用したのは「面白そうな男
だから」だったが、それは的中、隊員の評判でも「めちゃめちゃ愉快」。
明るいバンジョーの音色が<われわれ>を大いに慰めた。 しかも
ハッセーは探検先のスーダンから遙々応募したという、まさに<彼>が
求めた<協調性があり、探検に情熱を傾け、成功を確信する、、つまり
前向きな人間>でした。 そのハッセーが心に刻んだ<彼>の言葉は、
「世の中には素晴らしいものがいくつもある。 だが、仲間意識以上
に素晴らしいものがあるとは思えない」、「冒険にこそ生きる醍醐味
がある。 冒険は、、真の調和をもたらす」 (p.126)
カンや情緒、右脳も優れていた<彼>。 その高いEQが統率力に、、
* *
隊員は階級、職業、性格などバラバラ、しかも、それぞれの道の専門家。
参集の段階別で生じた派閥もある。 相互のプライドが交錯して、当初
は一体感など無かったという。 それを一変させたのも<彼>、
「会うたびに、シャクルトンの人柄にひかれていく」 (p.129)
(「三日会えば三日の愛を生じ」させた西郷隆盛みたい、、)
個別に接し、必要なら助け、仕事を教え、秩序を確立し、各自に<隊へ
の貢献>を実感させて忠誠心を植え付けた。 一方、ジョブ・ローテー
ションの徹底で階級意識を一掃し、ついでに予備要員育成の副次効果も。
<彼>自身も荷役、洗濯、床磨きに加わり、また、故障者の穴を埋め、
、、たえず現場に足を運んだ。 その利点は、、第一に、、範を示す
ことができる。 第二に、各作業の大変さがよくわかる。 第三に、
各隊員の強みと弱みを把握できる。 第四に、、、 そして何よりも
隊員との結びつきが強まる。 (p.140)
食事のテーブルも一緒に囲み、毎週パーティを催して、音楽、劇、討論
などを共に楽しんだ。 伝統行事や祭礼をも欠かさず、ご馳走で祝った。
* * *
こうした配慮や実行が隊員の結束や志気向上に役立ったことは疑いない
が、<彼>の記述には「ささやかでも礼の言葉があれば、、」とある由。
リーダーとは感謝されない孤独な仕事、まして困難に直面した時は、、
と<彼>ですら諦めていたようです。(p.188) それでも率先し続ける
のがリーダー、強い精神力が必要だが、そのもとは強い体力。
**********
●<彼>の体力が
どのくらい超人的だったか。 エレファント島への悪夢のような航海に
おいても、隊員の記述によれば、
、、昼も夜もなく、、船尾に立ち、、たえず進路を指示、、不眠不休
で警戒を続けたのは驚きだった、、素晴らしい人間、、体格も立派、、
誰かのためになるなら、苦労を厭わないのだ。 (p.237)
ニムロッド号での探検も最後は危うく、何とか船に戻れた<彼>だった
が、僅かな食料と睡眠で4ヶ月間、2800kmもソリを引いた直後だという
のに、3時間の休息だけで部下の救援に向かい、160kmを4日で踏破。
うち2日間は一睡もせず、その救援から戻るや今度はブリッジに立って
船を外洋へ誘導した(p.71) という。 それほど強かった<彼>が、
*
サウスジョージア島への決死行で第一原則としたのは、<悪口の禁止>。
エレファント島に残してはまずかろう問題児2名を抱えて出たからです。
一丸となって乗り切るべき場面、なじり合いは絶対禁物。 そして幸い
「誰も経験したことのない最悪のハリケーン」を凌いでサ島に到達した
ものの、捕鯨基地は島の反対側。 その2名を年長の1名に預けて残し、
<彼>外2名で高さ1200mの山や氷河を越えにかかる。 これまた
筆舌に尽くしがたい過酷な体験となったが、<彼>の著<南へ>には、
、、苦しみながら踏破したあの36時間に、我々が3人でなく4人だ
と思える瞬間がたびたびあった。 そのとき私は何も言わなかったが、
後になってワースリー(船長)が私に、「ボス、あの時は自分たちの
ほかにもう一人いるような気がしてなりませんでした」と打ち明けた。
とある由。 宇宙飛行士たちも月面で似たことを、、 やはり<神>は
いるらしい。
漸くノルウェー捕鯨基地にたどり着いて、どこの誰か、と訊かれた時、
<彼>は「船を失ったのです。 山を越えて来ました」と答えたという
のだが、何と端的、何たる謙虚さ、まさに英国紳士。 もちろん、
* *
<彼>が知性でも抜群だったことは疑いない。 船医マクリンによれば、
「それまで学んだことが無かった科学や技術について、必要な点をすぐ
に理解するところが、非凡な人間の非凡たる所以」 (p.102)
しかもその知性の用い方は、ワースリーによれば、「何が起きようとも、
計画を変更し、新しく練り直す準備は出来ていた。 その間も、笑いと
ジョークがたえず、隊員と冗談を言い合い、志気を高めた」(p.38) 由。
それは
Rational Process も。 実務作業でPPAしていると、何故かワッハッハになるのです。 また、そうでないと、良い知恵は出ません。
比べて、スコットは厳格な海軍式。 勲章のためには人命の犠牲を厭い
ませんでした。 以前スコットにイビられた<彼>、それを反面教師と
したのかも。 氷地獄から生還できるか否か、にはリーダーのEQが、
* * *
特に<生への意志>は不可欠。 状況打開を確信し、頭を積極的に切り
替え、柔軟に対応し、、 そのためには<食事>を貧しくしてはならぬ、
と信じたようで、<彼>は<悪夢の航海>の最中も規則正しく、温かい
食べ物を提供し続けていわく、
「、、荒天に身も凍る日々、、食べ物と飲み物がもたらしてくれる
温かさと安らぎによって、われわれは前向きになれた」 (p.246)
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●第161号既述<ブレーク/ムートンの
マネジェリアル・グリッド>に当てはめると、<彼>こそ<9・9型>。
比べてスコットは<9・1>。 どちらの下で働きたいと思いますか?
リーダーが高EQぶりを発揮すればメンバーの結束が高まり、当然成果
が挙がる。 結束と成果の関連で言うなら、かつての、即ち今いずこ?
の<小集団活動>も<日本>をいっとき輝かせました。 でしょ?
*
締め括りに、<彼>がもたらした<結束>を語る例を一つ。
(p.272)
几帳面さが高じた猜疑心で<彼>に評価!され倉庫管理係に任じられた
動力の専門家オーデリーは、酒もタバコも大嫌い。 気難しかったその
男が、エレファント島で救援を待つ間の冬至祭6月22日、
仲間たちのコーラスに「人生でもっとも幸せな日」、「救援隊が来ると
しても、この日だけは避けてほしい。 少なくとも今夜の夕食までは
避けてほしいと全員が祈っていた」と日記に書いたくらい。
客観情勢は極度に絶望的、なのにこの楽観性。 思わず笑っちゃいます。
* *
じゃ、サーモ屋ではどうだったんだ? ですか?
そりゃスケールは小さく、そんな命に関わる危険に見舞われもしません
でしたが、<結束>はダイヤモンドのように固く、<成果>は再々チラ
つかせて来たような具合で、、
リーダーが高EQの<9・9・9>だったから、かな?
■竹島元一■
■今回の
<私の写真集から>は ★南極のスコット★
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